あさま山荘事件(白田兄弟製作)の鉄玉は現在どこにある?

1972年、長野県で起きた浅間山荘事件。

人質を取り戻し成功に協力した白田兄弟。

事件解決に寄与したクレーン車の鉄玉は現在どこに保管されているのでしょうか?

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あさま山荘事件と白田兄弟

浅間山荘事件で使われた鉄玉の現在を知る前に

浅間山荘事件の概要を簡単におさらいましょう

浅間山荘事件

1972年2月19日

長野県軽井沢の浅間山荘という別荘地で起きた人質立てこもり事件。

人質にされたのは
別荘管理人の妻

犯人は
連合赤軍を名乗る5人組。

立てこもるまでに、多くの事件を起こし浅間山荘に逃げ込んだ状態。

浅間山荘には沢山の食料が保管されており
断崖絶壁の場所にあるため、難攻不落の山荘。

人質救出されたものの
負傷者27名、死者3名を出した凶悪重大事件

当時、警察上層部から現場警官に出された命令は

「犯人は殺さず確保せよ!」


と司令されていました。

犯人を殺傷すると、犯人を英雄視する者が現れるからでした。

白田兄弟

しかし

「鉄玉作戦」の業者に対する協力依頼は、ことごとく却下されました。

報復の恐れがあるからです。

唯一、地元の重機運搬会社「白田組」だけが協力を受けてくれました。

白田組を営んでいた白田兄弟。

幼少期から父親に悪に屈するな!と叩き込まれていました。

この時、白田弘行さん21歳

弘行さんの妹の夫(義理の弟)五郎さんと共同経営していました。

事件から5日後に白田兄弟のもとに、警察から協力依頼がきました。

作戦

人質救出作戦とは

山荘の2階から3階にかけられた階段を鉄玉で壊す作戦。

警察が犯人を3階に引きつけている間に

2階と3階をつなぐ階段を壊し
2階に居ると思われる人質を救出。

破壊箇所が少しでもずれると

山荘自体が壊れ、最悪か崖から崩れ落ちてしまう超難関ミッションでした。

鉄玉を有するクレーン車は
犯人から狙撃されやすい場所でした。

鉄玉参戦

警察は、犯人を生きたまま確保するため

クレーン車の鉄玉で建物の一部を壊し、犯人が動揺している隙に建物内に突撃する作戦を打ち立てました。

クレーン車(防弾仕様)

白田兄弟が改造したクレーン車と鉄玉【引用:原元美紀ミキペディア】

白田兄弟は2日間でクレーン車ののぞき窓に防弾ガラスをはめ込む等の防弾仕様に改造しました。

一日警察官

長野県警の指揮官

野中庸警視監は、万一の事を考え白田兄弟を一日だけの警察官に任命しました。

もし、白田兄弟が亡くなっても、警察官の身分であれば十分な遺族補償ができるからです。

当時緊急を要する作戦に
長野県警本部長ができる最大級の考慮でした。

人質救出

1972年2月28日午前10時作戦決行。

白田兄弟はクレーン車の鉄玉(1.7t)をあさま山荘に叩き込みました。

鉄玉は狙ったポイントに命中。

階段の分離に成功しました。

午後6時20分、犯人5名を逮捕、人質も無事に救助された

報復

事件後、白田兄弟の事は犯人関係者からの報復の恐れがあったため、公に公開される事はありませんでした。

あさま山荘事件で白田兄弟が使った鉄玉!現在どこに?

現在85歳と推定され白田弘行さん。

浅間山荘事件で白田兄弟が使った鉄玉は
現在、意外な場所に放置されているとのこと。

能さんにホンモノを保管してある場所に

連れて行ってもらいました。

すると迎えてくださったのは、

なんと例のクレーン車を運転していた白田弘行さん!!

・・

意外な場所に無造作にゴロンと転がっていました!

「だって、飾るのも変じゃない。事件だったんだよ。

2018.3.1 原元美紀「あさま山荘事件の鉄玉はいま!?」
白田兄弟と鉄玉
【引用:2018原元美紀のミキペディア】
浅間山荘事件で使われた実際の鉄玉
【引用:2018原元美紀のミキペディア】

浅間山荘事件で使われたクレーン車は既にスクラップ廃棄したとの事。

鉄玉を保管している意外な場所とは、意外にも白田さんたちが日常仕事で使っている作業場倉庫の気がします。

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